私は子供の頃から、「そう長くは生きられない」と言われ続けてきた。
重病に侵されているわけでも、先天性の病をもつわけでもなかった。
それは、この繊細さ故の『短命予告』を、言い渡されていたようなものだった。
大人達は皆、私を腫れ物のように扱った。
「ガラス細工のような娘」
そう言われ続けたものの、物心ついた頃から私はいつも「腫れ物」と認識するようになった。
「ガラス細工」のように、美しいものを守ろうとする心ではなく
「腫れ物」のように、痛々し気に、そして時には奇妙なものを眼にする大人達の心境が、子供心にも伝わっていたのである。
犬を育てていて、または他の犬と接してみて、私は多くの事を学んだ。
人の心を察するという、心の眼。
心の叫びが、態度や体調にまで現れるナイーブさ。
子供のまんまの犬達が教えてくれるのは、大人の本心から感じ取る、子供のナイーブな心そのものなのである。
子供の頃、多くの大人達から浴びせられた、蔑(さげす)みにも似た言葉達。
そう言われない為にだけ、私は強がる術を身に付けてきてしまった。
気付かない振りをする術。
明るく振る舞う術。
私は持って生まれた「ガラス細工の様な心」を隠す為にだけ、そんな術を身に付けてきてしまった。