Phot:by Nao

いつかきっと・・

9月10日。明日、あの忌わしい事件から、ちょうど1年が経つ。ここ連日、日本のメディアでも、アメリカ顔負けの報道がなされているが、どこか他所の国〜という冷めた部分が露出されているように見えて仕方ないのは私だけだろうか。

私はあの日以来、約半年を浮遊状態で、そして後半年を過去の映画のヒロイン気分で過ごしてきた。
乗り越え方が分らなかったのだ。
大切な友人の死を、どうしても受け入れる事ができず、公言はしないまでも、ブッシュ大統領を初めとするアメリカ大国の報復宣言に、ひそかに賛同していたりもした。

アメリカでは今、『もしかすると』ではなく、『いつ』『どこで』という、テロに対する警戒体制に入っているという。アメリカの(特にニューヨークでは)そのようなビラが毎日のようにポストに投函されていると聞く。

このサイトでも度々でてきたであろう、私の元恋人であり、婚約者だった人の死を知らされた時、私は決してそれを認めようとはしなかった。認めてしまえば、本当に彼の死を受け入れる事になりそうだったからかもしれない。だから私は、何処にどんな思いをぶつけて良いのか分らなくなり、そして崩壊した。
積もり積もった何とも表現の仕様がない感情を、吐き出す場所が必要で、それでも泣いてしまえば、それを認める事になりそうで、私は淡々とここに思いを綴ってきたのかもしれない。

そしてある時ある事を思いついたのだ。
これは、世界レベルの3流映画で、私はその映画の主人公なのだ。
だから、ある物語りに涙を流しているのだよ、と・・・

3流映画にありがちな、哀しいけれど力強く生きようとする女性を描いた物語。その主人公が、私だったのだ。実に14年、私はその主人公に従事したことになる。
『北の国から』が22年なわけだから、その長さには及ばないけれど、とにもかくにも、物語は完結したのだ。
それからの私は、仕事に熱中した。陶芸家という、本業に夢中になり、少しの時間の隙間もない程に、みっちりと予定を詰め、そして新しいドラマを目指していた。

強くなった。そういわれる度に、私の心は苦しくなりながら、呪文のようにこの言葉を唱えていた。
『だから、大丈夫』
映画だったのだから。私はその映画の主人公だったのだから。

9月に入ったある日、私は彼との共通の友人に連絡を入れた。そしてそこで現状を知ったのだ。
『彼は生きている』

色んな思いが、壊れた水道管から吹き出す水のように、手のつけ様もなく、私を唖然とさせた。

それは本当に色んな思いで、言葉にするのは容易ではない。
時間が経てば整理がつき、そしてここに綴る事ができるだろう、という思いがあったが、何よりもまず、言葉にならない喜び、というものが存在する事を、私は知った。とでも言っておこう。

彼は今、彼として存在してはいない。命はあり、息をし、歩けるようにもなったというが、以前の彼の存在は、もうない。
想像もつかない程の苦しみを抱え、生きて行かなければならない事に、拒否反応さえ起こしているのだ。
そしてその苦しみを与えたのは、何でもない人間なのだ。

未だに死を受け入れられない遺族が大勢いる。
未だに現状を把握できずに、朦朧とした日々を過ごしている人が大勢いる。
テロ事件のことだけではなく、世の中にはそんな事、ごろごろしているのだろう、と想像できる。

「死んだ事にしておいてくれ」
彼の最後の言葉に、私や友人は何も言えなかった。
もう、昔の自分には戻れないから・・・もう二度と、笑えないから・・・
もう二度と・・・

もう二度と、みんなの憧れだった彼に戻る事はないのかもしれない。
もう二度と、私達の前に、姿を現すことはないのかもしれない。

でもいつかきっと、きっと、それなりに生きてくれる事を、私達は信じている。
思いっきり苦しんで、テロリスト達を恨んでも構わない。
でもいつかきっと、『生きてさえいれば』という“あなた節”が聞ける事を信じている。

だから、もし願いが叶うなら・・・
いつか・・・いつかきっと、あなたに逢いたい。




多く人々のご冥福を・・・
そして、いつかきっと、生きていてよかったと思える日が来る事を祈って・・・
2002.9.10

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