Phot:by Nao??

2年前

懐かしい写真を見つけた。見つけたと言っても、始めて見るのだが、いったい誰が撮ったかこの激悪さ・・・
レディの眼が恐過ぎる!! まるで妖怪がニヤリと笑っているようだ。

この写真が2年前の8月31日に撮影されたものだということだけは、しっかり記憶しているのだが、それにしても・・・と思うのは、この日を最後に、この部屋を退出したにも関わらず、写真が上下の2枚しかない、ということである。


この部屋は、5年間、私が夢を育んだ場所であった。床や壁が濡れているのは、5年間の汚れを、綺麗さっぱり洗い流しているところだからだと推測される。
ということは、この写真、私が撮ったんだわね・・・酷過ぎ・・・

今は自宅をアトリエにしている。自宅はプロフィールに1枚だけ写真を載せているが、ご覧の通り、全くもって生活し難そうな造り以外は、180度違う空気を持っている部屋だった。

夏は結構涼しい、と思っていたが、それは単なる慣れの問題で、ここを訪れる生徒さん達は、皆汗だくになっていた。冬は冬で、雪ん子みたいな格好で、それでもブルブル震えながら制作をしていたようにも思う。

居住空間としては極めて不快適だったが、それでもここは、5年間、私の全てだった。

アトリエでは、きちんと看板娘を務めてくれていた、我が麗しのレディ嬢

前述通り、私はここで陶芸教室を開いていた。
それはアトリエ代捻出の為と、単なる流れでそうなった。
私は人にものを教えるのが嫌いだった。苦手というよりは、嫌いだったと思う。生徒さんに気を遣い、振り回されて、疲れ果て・・・今日は教室の日だ、と思うと、まるで子供のようにお腹が痛くなったりしたものだ。
1人で制作するには、十分過ぎる程のスペースも、わずか10人程の生徒さんが来るだけで、それはもう恐ろしい状態になっていった。何日もかけ、大掃除をしても、あっという間に雑然となり、そして道具達は行方不明になってしまう。捜索不可能地帯が発生するほど物の山。
1人では、手に負えず、しかし誰も手伝ってはくれず、私は諦め、というものを学んでいった。

5年間の内、200回程は脱出を考え、100回程はご近所さんに救われ、10回程は、実際に逃亡した。逃亡しても、携帯電話に追い回され、便利になった世の中を恨んだ事もあった。

先日友人(同場所、上階に住んでいた)が、あの部屋に戻りたい、と言った。
思わず、壮絶だった5年間を思い出し、頭をブンブンと振る私を彼女は不思議そうに眺めていた。

今から2年前、私は恐ろしい程の不安と、敗北感と、そして怒りと・・・しかし僅かな希望を持って、ここを退出した。
2度と戻りたいとは思わない。あんなの、もうまっぴらだ、とも思う。

しかし今、やっと、私はこの場所を、そして2年前のあの思いを、懐かしい、と思えるようになってきている。

2002.9.22

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