Phot:by Nao

この道

「どうして陶芸なの?」と、良く聞かれる。『余程儲かるのでしょうね』と・・・
世の中には色んな人がいて、上手くやっている人ももちろんいるのだろうが、正直言って、儲からない。
特に私のやり方じゃ、僅かな財産(があったとして)をも食いつぶす勢いである

「それならどうして? 何の為にそんなに悩むの?」
その答えはあやふやに見えながらも、毅然としている。
私はここにしか居られない。



スキャナで取り込むと、カラー写真が白黒写真に変身した。きっと彩度とか明度とかの問題だろう(露出とか、絞りとか・・・)。
しかし私は写真を習わない。『あ〜あ』で済ませられることは、とても面白い。
技術なんてその内ついてくるもの、とタカをくくり「今度こそ!」そう思える事は、とても面白い。
無論、風景写真に『今度』なんて存在しない。同じ場所に立ち、同じものを被写体として選んでみても、『その時』は永久に戻らない。だから楽しめるのである。

私にとっての陶芸はそれに似た所がある。『仕事』というくくりに縛られて、『あ〜あ』では済まされない窮地に立たされてしまうこともしばしばあるが、私は職人ではなく作家である、という屁理屈で、何とか荒波をくぐり抜けている。
神業のような技術を要されている職人と違って、作家は奇跡や偶然を当てにした創作をする。楽しみと仕事との狭間で、格闘しているようなものだ。
『あ〜あ』のリスクを背負うのは、他の誰でもない、自分自身なのだから構わないと言えば構わないのだが、それでも回数が増えてくると、見えないロープで首を締められているような感覚に陥る。
その時になって思うのだ。「偶然の産物を求めてばかりじゃ、いかんいかん」と・・・



子供の頃は、何だってできると思っていた。
子供の頃は、早く大人になりたかった。そうすればきっと、何もかもを自分の思い通りにできるのだと・・・
そんなことはあるはずもなく、人生は『あ〜あ』の連続であるわけで、だから人生って面白いのだ、と今更ながらに思ってみたりして・・・

だから私は懲りもしないで陶芸を続けたりしている。
『あ〜あ』も永久には続かない。いつか何処かでそれを覆す程の喜びが待っているのを、幸運にも私は知っている。奇跡の織り成す、泣きたくなる程の喜び。

だから私は、ここに居る。
悩みに頭をもたげられても、プレッシャーに圧縮されても、独り善がりに苦しんでも、それでも
やっぱり私はここに居る。


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