Phot:by Nao

願い

半年程前、このサイトのこの場所で、『祈り』と題してこの写真を使い、エッセイなるものを載せた。
私の命の恩人であり、元彼であり、元婚約者でもあった男性が、同時多発テロ事件に巻き込まれ、その人の安否を気遣っていた直後のエッセイだったと思う。

元はと言えば、そんなやり場のない感情の捌け口として、このサイトを作ったようなものだった。
誰かに分って欲しいとか、誰かに支えて欲しいとか、そんな何かを求めるよりも、とにかく何かを書かずにはいられなかった、という方が正しいだろう。

しかし私は、ここに戻ってくる際、それらに関するものを、一度は全て抹消した。
私が真っ白になる為には、どうしてもそうする必要がある、と思ったからだ。

この写真はご覧の通り、単なる手形の写真であるけれど、決してハリウッドスター等のものではなく、もっと切実な願いの残物である。
1995年、阪神地区を襲った大地震。 
その後、We Love KOBEをうたい文句に、平和と復興を願う人々が祈りを込めて残していった手形とメッセージ。この写真は、その一部なのである。

あの時、多くの命が犠牲になった。 その時の哀しみは、8年経った今、風化されつつあるようだ。
当事者達にとっては、乗り越えた哀しみでも、それをマスメディアの力を借りて知った人達にとっては、単なる歴史上の一幕でしかないのかもしれない。
ならば、9・11事件にしても、たった今行われている戦争にしても、報道番組からしか知り得ない私達の中では、人災であろうと、自然災害であろうと、同じようなものとしてしか捉えられなくても、無理ないのかもしれない。

そのことにいら立ちを感じながらも、だからといって私に何ができるか、と問われると、何もできないのが現状である。
この平和ボケと呼ばれる日本に生まれ、高度経済成長期のど真ん中に育ち、就職氷河期の1期生である私にとって、何が大切か、と問われると、自分の将来の方が大切だったりするのだから、政治家を責めるのもマスコミを責めるのも、お門違いといったところである。

しかしこんな私にも願う権利ぐらいあるはずだ。
『平和』
・・・平和の概念は、世界各国、人各々違うはずだから、そんな大まかな言葉ではなく、もっと切実なる願い。 そして単純明解な願い。 どうか命を粗末にしないで欲しい。
自分の命も、他人の命も、生まれ変わる事なんて、絶対にあり得ないのだから・・・



権力者は人の力を借りて立ち上がり、人は他人が造形した武器を借りて闘いに挑む。
誰かを犠牲にしなければ得られないような自由等、本当の自由と言えるのだろうか。
誰かを犠牲にしなければ得られないような平和等、本当の平和と言えるのだろうか。

どうか、どうか、生命を粗末にしないで欲しい。
無力な私は、そう願わずにはいられない。


2003.3.23

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