Pot : by Nao

三つ子の魂百まで


「両親の病状は良くなっているのでしょうか?」
先日、母に付き添って病院へ行った時の事だ。
「ええ、とても順調に回復されてますよ!」
「二人とも?」
「はい、ご両親とも・・・」
「そうですか・・・安心しました。今後とも宜しくお願いいたします。」
「はい! 任せて下さい!!」
「それはそうと・・・」
「はい?」
「随分とお父様にはお世話になりました。」
「は?」
「子供の頃に・・・お陰様ですっかり元気になりました。」
「あぁ、あぁそ〜ですか、あの時の・・・良かったですね〜元気になられて!!」
「ありがとうございます。でも、も一つお陰様で・・・未だに私はミミズが嫌いです!」
「・・・・・・・・・・へ?」

私はきっと忘れる事はないだろう。きっと死ぬまで憶えているだろう。
きっと・・・



幼い頃、私は腎盂炎を患った。
どうしても入院させたくないからと、頑に自宅介護をし続けた母。
私はその頃の事を思い出す度に、胸が締め付けられる思いがする程、母は必死になって看病し続けてくれていた。

腎盂炎という病は厄介で、塩分が体内に蓄積する為、酷くなると腎不全を起こし、死にいたることもある(らしい)。

何よりも辛いのは、味の付いたものが食べられない、ということであった。
母は、病院食よろしく、全てのものの味付けを落とす。
出汁をとる昆布、カツオ、イリコに至るまで、一度湯通しをするのだから、堪ったものじゃない。
まだ十歳の娘(妹)が、美味しくない、と分かっているものを文句も言わず食べている事を可哀想に思ったのか、その頃我が家では、殆ど調味料類を使わずに作った料理が食卓に並んでいたようだ。

もちろん、家族の者は、少し位の味付けはしたであろう。
しかし、匂いに敏感だった私に悟られまい、とするその努力は、もう満点の評価を与えざるを得ない。

おそらくその頃なら、日本一の八百屋にだって、ソムリエールにだってなれたであろう程、私の味覚は研澄まされていた。
病気と闘う少女も板につきだした頃の私といったら、それこそ、名前すら知っていれば、眼を閉じて口に入れたものの、本来の味(魚で言うなら、たまりをつけてないさしみ)を味分ける事ができる程になっていたのだから。

そんな私の楽しみは、病院から御墨付の、母特製ミックスジュースだった。
神戸の明治屋から、輸入フルーツを取り寄せ、数種類の甘いフルーツとミルクをミキサーにかける。
それはもう、堪らぬ美味しさで、私はそれを口にする度に思ったものだ。
『病人も悪くはないな・・・』

ある日、私の主治医である“じ〜や”(彼は自分の事をそう呼んだ)が、私を釣りに連れて行ってくれることになった。
自宅で寝たきりの、幼気な少女を哀れんでくれたのだろう・・・
“じ〜や”はとても不思議な人で、神戸の某大病院の名誉委員長をしていたのだが、子供の私が見ても、明らかにボケているはずなのに、彼の姿を見るや否や、ファンに取り囲まれる程の人気振り。
仙人みたいだなぁ・・・と、私はいつもじ〜やを見ていた。



その日、じ〜やと私達家族は共に連れ立ち、空気の良い山奥目指して歩いていた。

「喉が渇いた・・・」
私の一声で、一同近場に腰をおろし、母のミックスジュースで休憩をとることになった。
「あぁ、あぁ〜なんて美味しいんだ、なおは幸せものだなぁ〜」
じ〜やが言うと、ホントに幸せものなのだなぁ、としみじみなる。
それが彼の人気者たる所以かもしれない。
「さて、次はじ〜やが持ってきたお茶を飲んでごらん」

私はじ〜やから差し出された、極めて“普通”のお茶を飲んでみた。
「どうじゃ?」
「うん、甘くて美味しい!!」
「そうか、じ〜やの作ったお茶は旨いか!? そ〜かそ〜か、旨いか!? ファッファッファッ!!」
『水戸公門か・・・』



私が美味しいと言ったそのお茶は、それ以来何年もに渡って、私と兄達の普段のお茶、と化して、我々の胃袋に流し込まれる事となる。

『じ〜やの作ったそのお茶』
じ〜やから作り方を伝授された母は、毎日毎日そのお茶を作り続けていた。
その為、我が家ではいつも甘〜い匂いが立ち篭めていた。



それから10年の歳月が経ち、私は家を出た。
母の必死の看病のお陰で、すっかり健康体になったこの身体を、まるで自分一人のものだと言わんばかりに、背を向けた。

家を出てから始めて知る事となった親のありがたみ。
そして、家を出てから始めて知る事となった真実。
アマ茶と共に煎じられるは、なんとも無気味な食用ミミズ。

お茶の正体を知ったのは、私が二十歳を過ぎた頃だった。
それまでずっと、何故だかミミズがとても恐かった。
何度も何度も膨れ上がったミミズに追い掛けられる夢を見て、その都度私はうなされたが、何故だかは分らなかった。

ある日ミミズを怖がる私を見て、母がポツリと言ったのだ。
「お母さんなんて、あなた達の為に何万匹ものミミズを養殖してたのよ・・」
「・・・?? はい?・・・今、何と??」
「・・・・・・あ・・・」

詳しい事情は、その後友人から聞かされた。
「なおって、病気の時、ずっとミミズ飲んでたんだね・・・凄いね・・・」
と・・・

怒り狂った私はその足で、じ〜やがいるはずの病院へ乗り込んだ。
しかし高齢だったじ〜やは、もう既に他界されていた為、淋しさ半分と沸き起こる怒りは、不完全燃焼のまま、封じ込めざるを得なかった。

そして、とてもお門違いなところで蘇ったのだ。

感謝こそすれ・・・の思いやりに、ここまで激怒する娘だと分かっていたから、母は今日まで隠し通してきたのだろう・・・

母の努力虚しく、私の怒りは蘇り、そして今や両親の主治医である、じ〜やの息子に対して爆発してしまったのだった。

「一生恨んでやる・・・」

捨て台詞を吐きながら立ち去った、十八年前の病弱だった少女。
その少女がいなくなった診察室からは、大声で笑う声が、廊下にまで響き渡っていた。


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